小栗健一
私は幼児期におばあちゃんの乳母車に乗って保育園に通っていました。
毎日通る道すがら「トンカン トンカン」と聞こえてくる現場の横を通っていました。
ある日、その現場を通ったときに、大工さんの姿が見えたのです。
大きな背中とたくましい腕。そしてその手に持った玄能(大きな金槌)で見事にくぎを打ち込む姿。
そんな大工職人の姿を見て3歳の私は思ったんです。
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その後私は高校を卒業し、建築関係の専門学校に通いました。そうです、3歳からずっと将来の夢が変わることなく『大工』だったのです。
幼いころ、働く職人さんの姿や建物が完成していくまでの工程をずっと眺めていることがすきでした。家づくりが本当に好きでしたから、専門学校やその後の修行も全く苦ではありませんでしたね。そして、卒業後に弟子入りし修行に入るわけですが、そこで出会うべくしての出会い、ある種運命の出会いが待っていました。
3歳の時に見たあの大きな背中とたくましい腕。そうです、あの時の大工さんが修行先の親方だったんです。 -
親方にはとても厳しく育てて頂きました。そして優しく接して頂きました。
本当に学ぶべきことが沢山ありました。
今私が得意とする手刻みの和の技術や見えない部分にこだわるべきという考え、そして長く住まう為の知識など、それが今とても生かされ役に立っています。
親方には感謝しかありません。そして、9年間の修業期間を経て私は独立しました。初めてひとりで家を建てたときはそれは感慨深いものがありました。それから10年を超えて今も地元半田の皆様に支えられて何とかやって来れました。
私は、まわりの職人や業者さんからも妥協知らずの生粋の大工だと呼ばれているようです(笑)
それは親方から受け継いだものでもあり、私が想う大工そのものだからだと思います。家は住む人がいかに健康で末永く快適に住むことが出来るか。それをカタチにするのが大工の仕事です。
だからこそ、工期が他の建築会社よりも長くなろうとも見えないところにこだわり、絶対に妥協しない。
私はこの姿勢は変えることは出来ません。 -
私は祭りが盛んな半田市の生まれでもあり、酒と祭りが大好きです。
お施主様とも打合せの後によくお酒を酌み交わします。あ、毎度お酒を出して欲しいと言ってるわけではないですよ(笑)でも、お施主様と大切な家づくりの話をしながら飲むお酒は格別ですね。これからも是非皆様と楽しいお酒を酌み交わすことが出来る日を楽しみにしています。